5年間振り返って


5年間ありがとうございました。
本日をもって、
ブログの更新を終了します。

 今からちょうど5年前、一人の人間がインターネットの世界へ足を踏み入れ、このブログは始まりました。一人の航空機マニアが、航空専門学校へ入学し、整備士になるという内容として。
 インターネット初心者である私が、赤裸々に日々を綴っただけの、面白みのない記事を書き続けた。まさに、ただの日記だった。
 でも、今はあのくだらない記事が懐かしい。学生という人生で一番楽しいであろう期間を記録できたのは、今思えば幸いなことだ。

 高校に入学し、少年たちは進路について考えるようになる。将来何になるのか。そんなものを考えられるほど、当時の私は賢くなかった。みんなも同じように、漠然ととりあえず大学に行くことを目標としていた。そんななか、大学に行くことを頑なに拒んだ少年がいた。それが私だ。
 大学に行ったからといって就職できるのだろうか?当時の私は不安を感じていた。専門学校に行き、手に職を付けた方が良いのでは?だが、何を学べばいいのだろうか?

 結局、何も結論が出せないまま時間だけが過ぎていく。そんな私に人生の転機が訪れたのは、航空機との出会いだった。航空自衛隊航空祭で、産まれて初めてジェット機を目の当たりにした。鋼鉄の翼。

 航空整備士になる。そう親に宣言し、専門学校を調べ、ひたすら勉強した。そして、翌年航空専門学校へと入学した。

 新しい大地で新しい生活が始まった。初めての一人暮らし。どこか寂しさを覚えた私はインターネットというものを思い出し、私の生活を世界に公開することにした。こうして、現在「地平線を超えて」と題されたブログは公開された。
 専門学校での生活は、ただただ楽しかった。趣味の勉強ができるのだから当然だ。一人暮らしもコツをつかめば最適そのものだ。家族に気を遣わなくてもいいから、朝まで友人の家で遊ぶこともできた。

 多くの人と出会った。多くのことを体験した。なんとも充実した3年間だったろうか。だが、このブログの話題は、だんだんと自転車の路線へと変更されていく。きっかけは一人の人物との出会いだった。自ら自転車好きと豪語するその人は、高価なMTBで通学し、時折いろいろと自転車について話してくれた。旅客機が好きで、旅客機の整備士を目指していた彼とは話も合った。そんな彼に影響されてか、私もMTBが欲しくなった。というのも、学校のあった岐阜県は起伏が激しく、ママチャリでの移動は困難を極めた。少しでも性能のいい自転車で走りたかった。そして、運命の出会いをする。

 メリダCROAD CF8500。今でも現役のこの自転車は、大通りからずいぶんと離れた場所に、ひっそりと立つ店に置いてあった。一目ぼれだった。生まれて初めて(当時の感覚で)高価な自転車を購入し、世界が変わった。ペダルを踏めばどこにでも行ける感覚。寮から半径50キロ圏内はほぼ走りつくすほどだった。より快適に走りたい。カスタマイズに精を出した。より遠くに行きたい。輪行をするようになった。MTBの友人とも何度か並走した。集団走行の快感を覚えた。
 彼の部屋に招かれた際、そこで彼の見せたかったものを見せられた。真黒いロードバイク。その当時、「コルナゴ」というブランドがどの程度すごいのか分からなかったが、私はその美しさに魅了された。無駄の一切省かれたそれは、古びた寮には似つかわしくないほどの芸術品だった。
 それから、彼と一つの約束をした。今度はロードバイクで一緒に走ろうと。私は快く承諾した。だが、ロードは高い。彼の知り合いの自転車屋の人にある程度安くしてもらえたが、それでも高い。学生の小遣いではちょっとやり繰りできないので、まだ雪の降る時期に、私はアルバイトを始めることにした。月3万ほどの収入が得られるようになり、この調子だと夏にはいい自転車が買えそうだ。そんな風に彼と話していた。

 しかし夏が来ても、私の手元にロードバイクが来ることはなかった。部屋の隅にはメリダの残骸だけが転がっていた。
 彼の死は突然だった。バイトに行く準備をしていた時、友人が真っ青な顔で入ってきて、そう知らされた。ただ、無気力な日が続いた。ブログの更新すら億劫だった。彼がいないのであれば、ロードバイクを買う必要もなくなった。メリダも改造しようとしてパーツを外して、そのまま放置されたまま数カ月が過ぎた。

 彼の死の際、彼の両親から我々に「もし写真があれば分けてほしい」と聞かされた。そのとき、彼の写真が1枚もないことに気付いた。彼といた時間の証明は、全く残されていなかったのだ。唯一、彼がいたと分かるのは、携帯電話のメールの履歴だけだった。
 生きている記録を残したい。そして、今まで貯めたバイト代をつぎ込んで、人生で一番の買い物をした。デジタル一眼レフカメラE-330の購入である。だが、買ったはいいがカメラの使い方など分からない。また、その大きさに自分が驚いて、そこまで使うことはできなかった。本当はこれで友人たちを撮りまくる予定だったのだが、気恥ずかしさからなかなか実行に移せなかった。

 学校も卒業が近づきみんなで思い出を残そうと、クラスで修学旅行に行こうという話になった。そのとき、私は「ここしかない!」と、長らくしまっておいたE-330を皆に披露した。

 たった一泊二日のうちに、何百枚と撮影されたそれには、等身大の皆が写っていた。その後プリントして、みんなに配った際、撮って良かったと本当に思った。それが最後の思い出となり、仲間たちと別れた。私は社会人となり、ここでこのブログは事実上終了した。ブログが再び再開されたのは、ちょうどロードバイククォークを買ってからだ。自分の中で、何かが吹っ切れた。その後、カメラ系の話題を積極的に取り入れるようになる。

 いわば後日談的なこのブログもだらだらと続いている。続いてはいるが、昔のものとは全く異なるものとして運営している。昔は日記だったが、現在は感想や妄想を綴っているだけだ。あえてそうしている。ネットの世界に配信するのだから、第3者が見て少しでも参考になるようなことを書こうと少しは考えるようになったからだ。だが、昔の文化を引きずっているので、正直どっちつかずな内容になっているのは自覚している。やはり、学生と社会人とでは、微妙に書きたい内容も変わってくる。昔みたいに日記を書けば、恐らく愚痴ばかりの内容で、見ている人も不愉快になるだけだ。だから、今は日記は書けない。

 当時、航空機が好きだった私は、これしかないと思い航空整備士をがむしゃらに目指し、達成した。だが、仕事は仕事。そう思うようにもなり、その興味も次第に薄れた。5年間という月日で、私が好きなものは二つに絞られた。自転車とカメラだ。現在はそれに絞って話題を提供しているが、このブログの本来の内容はあくまで学生時代の日記であり、社会人になってからは後日談でしかない。蛇足だ。ここらを機にこの場から立ち去ろうと思う。awg-9というハンドルネームもそろそろ別れ、学生時代の名前として残したい。そう、生まれ変わろうと思う。新しい名前と、新しい土地で、新たに始めたい。
 新しい名前も場所も、だいたい準備できているのだが、再開はちょっと時間を置こうと思う。というのも、転勤が決まってしばらくネットと隔絶されるからだ。ちょっと早いが、丁度いいので今日でおしまいだ。今月中ごろ発表のオリンパスマイクロフォーサーズだとか、絶対内容を書きたくなるだろうが、我慢したい。再開時一発目の話題はそれになるかもしれない。

 思えば5年という月日で、私を取り巻く環境は大きく変わった。黄色い自転車や、大きなカメラを構えるようになり、さらに海上自衛隊で働くとは、夢にも思わなかったことだ。でも、航空整備士になるという夢は叶えられ、今日も愚痴を言いながらだが整備作業を行った。自分の望んだはずの生活は、確かに今やっているのだ。


 SH-60。これが私に与えられた航空機。4枚の羽をもち、2つの心臓で羽ばたく鳥。飛行前点検を終え、パイロット達が機体へと乗り込む。私は機体の前に立ち、パイロットと手先信号で会話する。バッテリーオン、APU起動。静寂は破られ、飛行場はタービンエンジンの音で包まれる。しばらくすると、横には米軍の戦闘機がタキシングし、背後でP-3Cが4枚のプロペラを回している。一歩間違えれば命はない。作業指揮官に身の安全を委ね、私はパイロットの手先信号に集中する。一つでも見逃せば、思わぬ事態に発展しかねない。第一、第二エンジン起動。ローター回転開始。エンジンが吠え、巨大なローターが回転を始める。システムチェック異常なし、タキシング開始。ローターを前に倒し、機体は前進を始める。それを誘導路まで誘導し、最後の手先信号を送る。誘導終わり、グッドラック。
「航空機異常なし」
 整備員待機室の無線に、パイロットからの無線が入る。その言葉に一安心すると、格納庫で整備を待つ機体の元へ向かう。パイロットから不具合の報告があったが、さて、どこが悪いのやら。
 「そういえば…」と、ふと学生時代に習ったことを思い出す。ダメもとで私はその作業に取り掛かった。


 あの学生期間を経て、今の自分がいる。

Thank you!