飛行機としての戦闘機 F/A-22について徒然

 F-117が始めて人前に現れたとき、少なくともそれはその時の兵器の姿ではなかった。おおよそ航空機、それも飛行機とは思えない姿をしていた。それ以前にも奇想天外な航空兵器(WW2におけるドイツが代表例)は存在するが、実用に耐えるものではないので無視する。F-117は到底航空力学を考慮されているとは思えず、その姿は飛行機と言うより宇宙船である。今でこそ一般にもその姿は浸透し違和感が無くなって来てはいるが、それでも米空軍の中で一際目立っているようにも見える。ステルス技術は世界的に見てアメリカがもっとも進んでおり、完全なステルス機を開発、実戦に配備しているのはアメリカ位である。確かに最新の航空兵器、そして艦艇などもステルス性を考慮されてはいるが、F-117やB-2といったステルスのため生まれたような機体はアメリカ以外では確認できていない。もっとも、それは「作れない」のではなく「作らない」のであろうが。
 アメリカが現在保有する純粋なステルス機(つまりB-1やF/A-18Eなどは除いて)はF-117とB-2である。長い間米空軍のステルス機は攻撃機爆撃機だったが、ついに戦闘機(最終的に戦闘攻撃機)が登場する。それがF/A-22である。F-117と同じロッキード・マーチン社製であるが、F-117と比べるとその姿は随分と違っている。F-117のぎこちない形状とは違い、F/A-22は空力的にも洗練されているようにも思える。そしてその姿もまた、F-117と同じく未来的である。むしろF-117の方が未来的であるが。
 F-15F/A-22が並ぶ姿はまさに時代の流れを感じさせる。F/A-22確かに未来的であるが、やはり進化の過程であり、歴代の戦闘機の血を受け継いでいる。私は戦闘機のなかではF/A-22は2番目に好きです。それはF/A-22が未来を予感させるからです。そして、その姿は少なくともまだ「飛行機」として認められるからです。世界初のジェット戦闘機Me-262の誕生から50年以上。確かに形こそ変われど、基本的なことは受け継がれている。後退角のついた主翼をもち、水平尾翼垂直尾翼を持つ。そして、コックピットがあり、人がいる。先人達が考案した技術は現在でも受け継がれ、それはもちろんF/A-22にも受け継がれている。
 だが、近年その技術は、次第に薄れていっている。B-2のように尾翼が廃止されるだけならまだいい、だが、コックピットが無くなった時点でそれは「飛行機」では無い。航空法上人が乗れなければ航空機で無いので、ミサイルと同じ「飛行体」に分類される。私は航空機は好きだが、飛行体まで好きではない。私にとってミサイルは投げた石と同じ、ただ一時的に空に在るものである。私は、飛行機としての戦闘機が好きである。戦闘機であれば、人が操縦し、彼らは表向きであれ何かを守るために戦う。家族、国家、思想などである。一方、無人機としての戦闘機は、それがない(戦闘機で無線操縦はないとだろうし)。ただ、敵を攻めるだけである。
 兵器の話は苦手なので避けるが、先に述べたようにF/A-22は「飛行機」としてみれば非常に美しい形をしている。F-16もそうであったように、洗練されたその姿は鳥よりも魚である。かつての空を目指した人々にこの機を見せたら、まさか「空飛ぶ乗り物」だとは思わないだろう。それどころかほんの半世紀前でもそう思うかもしれない。
 ライトフライヤーから100年。気が付けば超音速で飛行する異形の兵器、F/A-22ラプターがこの空を飛翔している。近い将来この機が戦場に赴く日が来るかもしれない。だが、私はそうならないことを心から祈る。(よく軍用機ファンに詳しい人は戦争を肯定的に捕らえているように思われがちですが、全く逆で、むしろ一般の人より戦争を嫌っています。なぜならば、だれでも好きなものを壊されるのが好きな人はいません。もちろん例外もいるでしょうが…)

まとめ
(ステルス機で唯一許せるのはラプターだけ。さすがはロッキード・マーチン、美しい機体を作ってくれます。F-35?あれはずんぐりむっくりで、まさにラプターの弟分)