昨日はすっかり弁当を作り忘れていたので、コンビニで昼食を購入。久しぶりにトマトサンドをゲッチュ。トマト最高です(何気に好物)。
 今週は総じて眠い。朝起きてから寝るまでである。日曜に徹夜したのがここまで響くのか、と疑問に思いましたが、それから回復するほどの睡眠をとっていないことに気づき納得。そりゃ眠くなるよ。一日7〜8時間寝なくては気がすまない体質なので、徹夜+以後6時間睡眠は体に悪いのは目に見えてます。体調を崩したのもそのせいでしょう。
 午前はともかく午後の授業は勉強よりも先生が問題だった。私の学校の先生二つで分けられる、「良い先生」と「悪い先生」だ。悪い先生と言うのは教え方が悪いのではなく、人間的に悪いのである。「良い先生」の中には教え方が悪い先生もいるが、そういう人は自分が教えるのが苦手だと分かっており、熱意で教えようとする。一方「悪い先生」は、総じて自分の非を認めない。自分の教え方が悪いと気づかず、指摘されれば逆切れする。そういう先生は総じて生徒(専門学校は学生?)から「教え方が悪い、こうした方が言い」と言われるのだが、そういった先生は「私が悪いのではなく、お前達が悪いのだ」と突っぱる。一度や二度ではない。絶対に自分の非を認めないのである。だから当然嫌われる。そういった先生に生徒から向けられる感情は「怒り」どころか「殺意」である。ともかく、そういった授業は居心地が悪く、さらに先生の教え方が悪いので授業にならない。ひとり黙々と自習するしかないのだ。というか、そろそろ学校側も教育者としての心得を教えてやって欲しい。せめて自分の非を認める勇気と、それを改善する思いはもって欲しい。
 真っ直ぐ帰宅。散らかしっぱなしの部屋が見苦しいので、掃除開始。というか、いつも友人が来るたびに友人から私への評価が落ちているような気がしますし。掃除が終わってすっきりした部屋を見て、これこそ私の部屋だと実感する。ほとんど押入れに押し込んだだけですが。するとタイミングよく友人が来た。ははははは、綺麗になった我が部屋を見よ!と招きいれようとして最大の失態を犯してしまった。玄関の掃除をしてなかったのだ。玄関には出し忘れたゴミがあり、ゴミ箱からはゴミが溢れている。人間を計るのに必要なのは決して表面では計らない。人間を計るのには絶対に内面が必要だ。内面は計るのは何気ないいつもの行動が計りやすい。例えば部屋をいつも綺麗にしている人はどこだろうときれいにするだろう。決して例外なく。だが私のように血液型O型の典型的片付け方では雑多だと言うことはすぐにばれるだろう。例えば今回で言う玄関。良く考えればもっともここは綺麗にするべき所だからだ。玄関と言うものは全ての入り口であり、だれもが通過する場所、それはつまり、だれもが見るところだからだ。なんということだ、私の「実はこの人綺麗好きなのね、胸キュン計画」がこんなところで終わってしまうとは…。不覚!ということは微塵も考えていなかった。ただ掃除しただけです。
 夕食は弁当用にとっておいた冷や飯があるのでこれを使わなければならない。10秒で「焼き飯」を作ることを決定。食材はケチって豚肉20グラム、玉ねぎ1/8、そして玉子一つだけ。味付けはコショウと塩と醤油だけ。食べてみて思ったのは、ここまで味に飽きる焼き飯も久しぶりだと言うことである。美味しくなかったせいか、食後のお茶の一杯すら美味しく感じなかった。
 さあ風呂だ。と浴槽に水を張り始めて早々腹部に異常が。こ、これはまさか……!間違いない、アレだ。となると、向かうべき場所はただひとつ。だが、今そこには入れない。なぜならば、そこは今立ち入ってはならない聖域なのだ。つまり、今はここで待つしかないのだ。だが、腹部の異常は悪化していく。聖域を侵せば私はそれからしばらく苦痛と戦わねばならない。なぜならば向かうべき場所は、ユニットバスだったからだ。下品な言葉を使いたくないので比喩的表現を使いますが、聖域で腹部の異常を取り去ると、私一日の内数少ない幸福な時間はなくなってしまう。せめて、せめてその時間を終えてからと思うのだが、腹部の異常は増々悪化するばかりだ。辛抱たまらん!こうして、私は聖域を侵すこととなる。寮生活始まって以来の背徳的行為、というより自殺行為であった。もっとも、この時の選択は「相手に殺られるか、自分に殺られるか」という判断でしたが。
 久しぶりに寝る前の僅かな時間に日記を書くのではなく、ちゃんとした自由時間で日記を書いたのでえらく長文になる。寝ぼけていないせいか無駄に頭が回るおかげで、どうでもいい出来事をどうでもいい文章で書いてしまった…。良く考えると、もう寝る時間だし。