再始動

 自転車に乗っていて事故を起こしたあたりからいろいろな事件が起こり始め、悪い事件だけでも4月終わりのバイク事故での友人の死、4月半ばのバイク事故での友人の入院など、まさに山あり谷ありの一ヶ月。日記では空白の一ヶ月、5月はいい意味でも悪い意味でも忘れられない月となります。まさにメイデー*1

 正直、5月はかなり憂鬱でした。趣味である自転車は3月終わりの事故で壊れ、4月終わりにはその自転車中であった友人が交通事故でなくなった。自転車の修理も気に乗らず、かといって勉強もやる気がおきない。やはり友人の死は私の心に響いた。何よりもやりきれないのは、他のクラスであった私は病院に入れず、葬式にも出席できなかったことだ。私の前から、彼は突然消えた。彼の死は他人から聞かされたものだ。だからどこか実感がわかなかった。私が彼が死んだと確信したのは、事故現場に来たときだった。事故現場がどこか、実はあまり知らなかったが、そこに近づくにつれ心に不思議な感情がわきあがる。おそらく事故現場であろう場所に、私は近づけなかった。そう、そこを見たら、彼の死が確定してしまうことへの恐れだったのかもしれない。それでも私は進み、事故現場に到着した。そこには他愛も無いものが手向けられていた。花や飲み物、そしていろいろな小物。よく道の脇に見る光景。普通なら「へえ、ここで事故があったんだ」程度しか思わないものも、知人であれば当然別だ。そして、私はそのとき泣いた。それが、私の心の中での彼との別れの瞬間だった。
 5月は、就職の第一次募集ということもあり、周囲では就職活動で躍起になっていた。私のクラスでも5月のうちに就職が決まったものも数人おり、出だしは順調といったところか?と思った矢先、クラスメートがバイクの事故で大怪我をし、入院した。そのため、入社試験までに退院できず不戦敗ということになりそうだ。しかし、人間事故を起こすときは偶然だ。なぜなら彼は普段バイクに乗らないからだ。多くの要因が重なりバイクに乗らざるおえない状況になり、この事故。まあ、不思議なもので人間生きていればどんな悲劇も笑い飛ばせるからすごい。


 閑話休題。5月を無為に過ごしたのは私としてもどうかと思ったが、生まれて初めて感じた長期にわたる憂鬱。自転車は乗れず、絵を描く気力も時間も無い。体にも異常が出て、5月は常に闘病生活でした。薬局にバイトしていると薬の調達が非常に容易。そんなこんなで薬代で一ヶ月で5000円出費。素直に病院に行ったほうがいいが、学生さんは行く時間が無いのだ。なにせバイト先のバイト人数が数日にして半分になるという緊急事態となり、私は起床→学校→バイト→就寝という自由時間ゼロの生活が続いた。これじゃ他人の死がどうとか言う前に体調崩して当たり前である。しかし環境適応能力のきわめて高い人間は、一ヶ月もたてば慣れる物で、今ではだいぶ自由時間を捻出する術を体得している、つもり。
 5月の間掃除もろくにしなかった部屋は荒れに荒れていたため、6月を迎える前に掃除。そして私の心も掃除した。憂鬱の続く毎日に終止符を打つため、一大決心。


「私は生まれ変わる」


 せっかく生きて、五体満足である私は、一部の人から見たらどれだけ恵まれているだろうか。無為な一日より有意義な一日。5月を無為に過ごした今、6月は有意義にすごす。そして、7月も、8月も、来年も、そして人生を。死んだ友人はまさに夢半ばで死んだ。夢半ばをすごす私は、夢を夢のままにしないためにも、日々を活かさなければならない。自転車修理のためパーツを取り寄せ、今では少しずつよみがえっている。
 6月中に終わらせようとしている目標は、部屋の模様替え、自転車の修理、そして自分をより磨くこと。自分にかかわる多くの環境を変えることで、過去の自分との決別をしようと思う。小学校から続いた学生生活もあとわずか、社会に羽ばたくための最後の追い込み。それが、今から始まる。


追記
・自転車修理って言っても前後輪が振れて、フロントサスペンションが捻じ曲がった程度。ホイールはどうがんばってもリムが曲がって左右5ミリの触れが限界。フロントサスは思い切ってリジット化。しかもロードバイク用で。すでに私のクロスバイクは買った当初から残っているのがフレームぐらいという、とんでもない状況になってしまっている。さようならバイト代。ああ、模様替えするのにちょっと家具ほしいし、夏だし新しい服も買わないと…。か、金が無い…。鬱だ、死のう。

*1:無線での救難信号。モールス信号で言うところのSOS