なぜ一眼レフカメラを使うのか


 一眼レフカメラはコンパクトカメラに比べて格段に美しい写真が撮れる!と、思っている人も多いが、実のところそんなわけはない。確かに比べると差は出るが、人によってはどうでもいい差だ。そう、写真の写りはそんなに変わらないのだ。記念写真や風景を撮るには、等倍で見ない限り両者に差は生まれない。(4月10日の日記参照
 ならなぜ私は重くてでかくて目立つ一眼を使うのか。私が一眼レフを使う理由はただ一つ、表現力だ。
 一眼とコンデジの差は、あるようでない。一時はデジタル時代のフィルムである映像素子のサイズが決定的に違ったが、シグマのDP1、そしてマイクロフォーサーズの誕生で必ずしもサイズに差が出ない。やはり、レンズを交換することができるのが一眼の最大の特徴であり、コンデジとの差だ。
 しかし、レンズが交換式だからと言って綺麗な写真が撮れるわけではない。最近のコンデジは優れた性能を持っている。普通の撮る分にはコンデジで十分だ。ならなぜ一眼を使うのか?

 そもそも、どうやって写真は作られるのか。重要なキーワードは「絞り」と「シャッタースピード」だ。絞りとは光の量を制御する機構、そしてシャッタースピードとは、その名の通りシャッターを開けておく時間だ。デジカメとなって完全なデジタル化されたカメラだが、実のところやっているのは絞りを絞ってシャッターを切る。ただそれだけなのだ。そう、カメラに必要な機能はこの2つしかない。
 現在全自動化されたカメラを使っている人は、なにも考えずにシャッターを切るだけだ。シャッターを切れば、カメラが自動で適正に絞りを絞り、適正なシャッタースピードを選択する。一眼にもオートモードはあるが、一眼にはまず間違いなくこれを手動で操作するモードがある。
 目の前の景色を撮ろうとする。絞りを解放した場合と、絞った場合では、同じ景色も変わって見える。シャッタースピードを変えてもまた同じだ。さらにデジタルカメラになってからはホワイバランスなども気にしなければならない。そう、同じ景色も、いくつもの撮り方、表現の方法があるのだ。
 自動化が進んだカメラが作る写真は、撮り手ではなくカメラが決める。確かに綺麗だが、撮り手の気持ちを再現することはできない。その時見た風景が、自分にはどう見えたのか。そこで求められる表現力。

 しかし、これは一眼にしかできないかというと、そうでもない。たとえば上の写真撮ったコンパクトカメラのGX200なんかもそんな表現するカメラだ。ならそれだけでいいではないかと言われれば、そうだ。だが、やはり小さいゆえレスポンスにおとり、レンズは交換できないし、ファインダーもない。あくまでもサブだ。
 一眼レフカメラは車で言うとスポーツカーだ。街中を走るだけなら普通の車で問題ないし、フォーミュラカーだろうがラリーカーでも走れないことはない。だが、サーキットやオフロードは普通の車ではおぼつかず、フォーミュラカーやラリーカーの真価が発揮される。このフォーミュラカーやラリーカーに相当するのが一眼のレンズ交換だ。一眼はコンパクトカメラでの撮影が難しい、過酷な条件下でこそ違いがはっきりとしてくる。逆に街中でフォーミュラカーなどが走りにくいように、通常の撮影ではオーバースペックである。そのため、MTの乗用車のような、普段使いのものも必要だ。

E-30+18-180mm

 一眼レフカメラはそんな個人の表現力を最大限に発揮させる道具だ。そのため、同じ景色を撮る際にも設定は人それぞれだ。

 もしあなたがカメラに詳しくなく、綺麗な写真を撮りたいからと言って、一眼に手を出すのはあまり勧められない。カメラに詳し人がいれば別だが、露出補正、絞り、シャッタースピード、ISO、ホワイトバンラス。こういった単語を何の迷いもなく分かるようになってから手を出してほしい。オートモードだけでは一眼の性能はまったく出せない。これはAT限定の自動車免許とりたての人が、フォーミュラカーやラリーカーに乗ってしまうようなもので、性能を発揮することはおろか、逆に乗れずに「ダメな車」扱いするかもしれない。

 一眼を絶対に勧めないわけではない。写真を撮ることに楽しみを覚えたのであれば、一眼を強く勧めたい。コンデジよりもはるかに多い設定項目を操り、被写体相手に試行錯誤するのは写真の醍醐味だ。

OM30+35-70mm
 撮影を楽しみたい。それが私の答えだ。