自転車ブーム

夢を見た。メリダに乗って走る夢を。起きると逃げられない現実を突きつけられる。入院生活11日目。ドロップハンドルが恋しい。
世間では連休ということだが、そんなこととは無関係な入院生活。外は憎たらしいほど晴れ渡った空。自転車日和である。
そんな光景を、病院のベッドから眺めた1日。生殺しでした。

「自転車ブームってやつか」
私が自転車をやっていると知られると、他人によく言われる。確かにここ数年で自転車が趣味の人が増えた気はする。
ブームに乗って自転車を始めたのか?そう聞かれると答えは「ノー」だ。

サイクリングが好きだった。だが、それに気づいたのは専門学校に入ってしばらくしてからだ。それまでは自転車に特別な思い入れは無かった。乗っていたのはブリヂストンのベルトドライブのママチャリだ。中学校に進学した時のお祝いに買ってもらった。買った時から「これは俺の自転車だ」と感じていた。そして保守整備は全て自分で欠かさずに行った。その甲斐あってか、買って10年経つが、いまだに現役である。
今思えば何らかの愛情をかけていたのかもしれないが、それを実感したのは先に述べた専門学校に入ってから。メリダを買う一年前である。

保守整備は自分でやったと書いたが、主にパンク修理がメインだ。通学途中でパンクし、通学路を押して帰ったのは一度や二度では無かった。帰ったらまずチューブを引っ張り出し修理を始める。最近のパッチを当てるタイプではなく、ゴム板をハサミで適当な大きさに丸く切って、ゴムのりで接着するタイプだ。作業時間はだいたい30分ぐらいだろうか。そして走れるように戻して放置。この時ついでにブレーキの調整やらをやる。そして時間が経ってからまだ空気漏れしてないか見るのだが、それを見に行くのがいつも怖かった。だいたいいつも初めの一回は失敗する。実は当時、お店で修理してくれるなど知らなかった。自分の自転車は自分で世話するのが当たり前と思っていた。おかげでママチャリの整備は結構できるようになり、また、スポーツ車の整備性の良さに感激することにもなった。

そんな当時の自転車の役割は他ならぬ移動だ。本屋やら何やらに暇があれば行っていた。まあそれは普通かもしれない。だが普通の人はわざわざ日に何度も本屋を往復するだろうか?本屋などの行き帰りがなぜか楽しかった。立ち読みできるからそれが楽しみで?いや違う、昔も今も本はほとんど読まない。当時の自分でも不思議だった。
当時はなぜか目的地もなく自転車に乗ってはいけない気がしていた。だから目的地を作った。わざわざ隣町の店にも行った。往復に何時間とかかるのに、である。だが時間がかかればかかるほど楽しかった。
つまりそれは自転車に乗る口実が欲しかっただけだ。当時は自転車が好きだという発想が無かった。だから気がつかなかった。
口実を作って知った道を往復する日々。それが崩壊したのはある日の夕暮れだった。
いつもの道を通り帰路についていた私だが、その日、なぜか道を間違えた。故意だったか無意識だったか覚えていない。そして道に迷った。未知なる世界に迷い込んだようだった。
日は落ちていく。心は焦り出す。だが不安と同時に、不思議な興奮があった。ペダルを漕ぎ続け、なんとか知った道に出たとき、安堵感と共に達成感も生まれた。振り返ればさっきまでは未知なる世界。今は一つの道。未知から道へ変わっていた。

あ、楽しい。それから、口実も無く自転車に乗る日々が続いた。だが、それでも自転車が好きではなかった。自分にとってこの自転車が自転車であり、それ以外無いと感じていたからか。買い換える気は全く無かった。だから専門学校に進学し、新天地で買った自転車は、なるべくその自転車に似た物を買った。ブリヂストン製で27インチのタイヤに、内装3段変速。唯一の違いはベルト駆動からチェーン駆動に変わったことぐらいだ。

新天地でもママチャリで駆け抜けた。それなりに有意義な日々を送っていたが、ある日ふと思った。新天地は坂が多い。きつい坂はいつも自転車を押して上がった。もっと軽いギアがあれば…。もっと重いギアもあればもっとスピードを出せる…!そうこう考えているうちに、ああ、自転車好きだわ、と実感した。

メリダと出会ったのは、そんなある日のことだ。ローディーがトレーニングで使う峠をママチャリで越え、その先の店で出会った。何台かあった自転車の中で、なぜかそれだけ脳裏に焼き付いた。一目惚れとはこういうものかと感じた。
そして私の自転車生活が始まった。


ブームだから乗ってる訳ではない。健康のためでも、ましてやエコでもない。ただ単純に、楽しいから、ただそれだけだ。



以上、自転車に乗れない病院から"携帯から"の更新でした。さすがにこれだけの長文は疲れた…。